「制作ノ-ト」カテゴリーアーカイブ

モチーフたち、テーマ

21.jpg 所狭しと仕事場に並べられたモチーフたち。これまで私が作ってきた版のしごとでは、風景や記憶をモチーフとしていたので 絵を作るときに具体的なモノはたいして必要なかった。だが、こういう水彩画を描くようになって 随分モノが増えてきた。

水彩画だからといって、モノが無くては描けない訳ではないのだが、色や形を追いかけていく時に自分の中からでてくるものだけでは物足りなくて、何か取っ掛かりになるものが欲しかったのだ。

集まってしまったもの達を見ていると 不思議な形をした木の実や貝殻、光をキラリと反射する透明なガラスや、金属をぐるりと曲げて作った置物。有機的な植物の繊細な色や形と、無機的なものの冷たい質感。「無機的なものと有機的なもの」これらを対比させて版の作品にもよく取り入れるのだが、特に意識せずに そういうものを気に入って集めてしまっていた。221.jpg

・・・対比。画面の奥行きというものを煩わしく感じ、もっと平坦で、イメージ性よりも物質的なものを強調したかったから、異質な物を対比をさせて並列にして展示するというスタイルを何度かとって来た。しかし、これでは結局、画面を弱くしてしまうのではないだろうか?画面の奥行きを煩わしく思うことが、作品自体の力や深さも削いでしまっているのかもしれない。

16.jpg人間の意識はフォーカスを絞ることで対象の意味付けをしていくものであり、中心視野の狭い範囲内でしか最高の視力と意識の重み付けが出来ないものだから、2つのモノを並列させてしまうと、見るほうは 自分の頭で全体像を再構成しなくてはならず、今見ているもの に対する意識を拡散させてしまうものらしい。

「白とか黒とかいう音があるのではなくて、一つの響のなかにたくさんの色がある。たくさん、ではなくて、全部かもしれない。その、全部の色を持った一つの響が、時間のうつろい、音の繋がり方、そして聞き手の心によって、いろいろな色に聞こえる、、、、、」こんな有難い話をしてくれた音楽家でもある友人の言葉を、自分なりに噛み砕き、まだまだ全然、消化はしきれていないけれど7月の展示に向けて作品を作っている。

全は一なり、一は全なり、 か・・・

2008.6.9

 

 

査定

車を買い換えることにした。10年を越え歳はとったがまだまだ元気、動かなくなるまで共にしようと思っていたが、バッテリーもデカく ハイオクを大食いする車をとうとう養いきれなくなってしまったのだ。そこで、まずは下取りすると幾らになるのか他社ディーラーに査定してもらったところ なんと0円。10年越えれば仕方ないですねと バッサリ。 走行距離も少ないし、ちょっと珍しい逆輸入車で愛着もあったし、6ヶ月ごとに点検もして大事に乗ってきたから、値のつかなかった我が車が何だかかわいそうになってしまった。まだ充分イケルと思っていたのに世間の評価ってそんなもんなんだな~・・。歳をとればそういう扱いを受けるのか。。。

と、ふと我が身と重なった。私もこの車と同じ境遇じゃないのか???車をして、嫁に行かない(行けない?)親の気持ちというものが、な~んとなくわかったような気がした。

しかし、この評価が全てじゃないぞ!いろいろなところにあたってみよう。躊躇はしたもののネットで検索、情報をいれてポン!そしてら査定に来るわ来るわ。殆んど評価をしてくれないところもあれば、「珍しいですよね 是非、引き取りたい車です」って言ってくれるところは、品定めをしてそこそこの値段をつけてくれる。いやぁ、まあ安いけれど、まだ丈夫じゃん!キミのことをわかってくれる人もいるんだね、先がありそうでよかったね。今度は思い切り高速走ってたくさん遠出もできたらいいねぇ。

車に感情移入してしまう、参った 参った。。

2008.4.3

知覚する色

先日購入した外国メーカーの緑色の水彩絵の具。どんな感じかな?早速いつものようにふたを開けると、予想もしなかった色が目に飛び込んできた。分離したアラビアゴムか、はじめの色だけすこし変色したか、そう思ってチューブを少し押してみると、補色のオレンジ色がにゅるり。

自分の目が怪しいのか、いや、知覚する色は目と脳の相関関係によるから、同じ色を見ていても人によってどう見えているかはわからない。もしかしたらこの緑はこういう色なのかもしれない。不思議な波長を持つ色で、人によっては緑に見えているのかもしれない。しかしラベルの色とはあきらかに違う・・。

これが緑というものだ、と信じようとする気持ちが次々と沸いてくる。何を信じようとしているんだろう。画材屋さんに聞いてみたら、ラベルの貼り間違いだろうとのことで、取り替えてくれると言ってくれた。ああ、やっぱりこれはオレンジだったんだ。そういえば、以前絵の具工場を見学した時、何色か同時に作るときはラベルを間違えないように補色同士を作ると聞いたことがあったけれど、こんなこともあるのだな。

2008.2.15

時のスケッチ

7月の末に、画廊から展示の話をいただいた。2ヶ月間という短い制作期間だったが、二つ返事で承諾。小品で連作を作りたいとイメージが既にあったし、小さいスペースというのも丁度良かった。話をいただいてから早速、エスキース作り。イメージを具体的にしていくのが実はいちばん時間がかかるが、もっとも楽しい時間でもある。8月の半ばには版を仕上げ、あとは刷り。いつもなら、展示の1ヶ月前には作品が出来上がっているのだけれど、さすがに今回、額縁屋さんへ持っていったのは搬入の1週間前だった。ぎりぎりになると普段なら焦ってしまうところなんだけれど、しかし今回は気持ちよく制作出来た。7点ほどの作品が仕上がったが、その中から5点を展示することにした。展示の作品も決まって画廊に寄ったところ、置かれていた展示台が気に入り、そこにも作品を置きたくなって、オマケで小さなパネルの作品を3つ、あらたに制作。

「時のスケッチ」、 自らの中に刻み込まれた風景が、時を経て、何か芯のようなものになって残る。遠い時空、時の流れ、移ろう色彩を、版を重ね、コラージュして紙を重ねながら、遠い記憶あるいはその先の未だ見ぬ時空を想い描き、「スケッチ」してみた。

2007年10月1日~13日まで

ギャラリーなつかcrossにて 

10月の展示

10月からの展示は久々の版画。半年ほど前(もうそんなに経ってしまったのか・・・)の顕微鏡院での展示はペーパーワークの仕事だったから、版画はちょうど2年ぶり。しかし、 ペーパーワークといっても版を使ってはいるし、分けて考えるのも窮屈だ。何もかも取っ払って、自由な色、素材、カタチ、全て融合させてかき混ぜて、上澄み液の澄んだところで、作品を作れるようになりたいものだ。

今回の作品は「時のスケッチ」というタイトルの小品6点シリーズのうち5点を展示の予定(まだ、仕上がっていないけれど)。遠くのほうから微かな澄んだ音が聞こえるようなモノを作りたいと思った。音叉の音、時報の音、赤ん坊が肺呼吸になった瞬間のはじめの第一声、みんな「ラ」の音だと昔聞いたことがあったような気がするけれど、そんな音に色があったらどんなだろう?

2007.9.9

研修

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今年の美術工芸科研修は去年と同様、長野の装飾学校へ。去年はいくつかの選択肢の中から鍛造を選んだが、今年もやはり同じ物を選んだ。どうやら、火の前に立って金槌を振り下ろす快感に魅せられてしまった。今回教えてくださったのは、スレンダーで美人な、若い女性の先生。プラズマカッターでそこらじゅうに火花が散るのをものともせずに、そしてコ-クスで高温になった炉に皮手袋をした手をつっこみながら、しなやかに金槌を振り下ろす姿に思わずみとれてしまった。炉の中、熱くないのだろうか?こっそりまねをしてやってみたら焦げ臭、やっぱり熱かった。袖がちょっと焦げた。 

夕飯のあとは、毎度のお酒?会。ちゃんと学習した私は今回は程々に控え、おかげで清々しい朝を迎え、八ヶ岳を眺めながらきちんと朝食も取って、しっかりとした足取りで早々と工房へ。昨日の続きを仕上げ、こんな蝋燭台ができた。錆止めに自然な色合いの蜜蝋を塗って完成。先生の手を借りながら、まだまだ覚束無いけれど、やっただけのことがカタチになってあらわれる。手仕事の面白さ、生徒たちにも伝えたいと思った。

2007.8.11

DEBLI PROJECT

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4月24日~29日、渋谷 ギャラリー ル・デコでの「DEBLI」という催しに出品。左は会場で撮った写真をパッチワーク。

 →詳しくはこちら!

 愛知万博で展示された素焼きの動物1200体、万博終了後は廃棄されてしまうその動物たち。それらをRECYCLE→RECREATEして、「未来の子供たちに何か残せないか」というBGSさんの呼びけのもと、いろんなジャンルのアーティスト190数名が手を加えた、もとは真っ白な動物たち。今、いろんな姿に生まれ変わって、展示中。包まれ、描かれ、切断されたものもあれば、原形をとどめないものまで。皆さん、いろいろ考えるなぁ!ちなみに私のはこの2体、ひっそりと、、、。13.jpg

 

 

 

2007.4.26

ペーパーワーク+版 (風の旋律)

モノを描くときに大切なのはそれを取り囲んでいる空間を意識することだが、「ある」ものと「ない」もの、その互いの関係は切りはなすことはできないものだ。特に平面の中で、空間は「地」となり、モノは「図」となる。地と図の関係は普段の生活のいろいろな場面の中で、図(モノ)だけに意識が向かいがちになるが、はたして地と切り離された図にどれだけの価値があるのか・・・。

今回の展示はペーパーワークの作品。和紙の持つあたたかさや、独特の風合いにずっと魅せられ続けている。繊維の絡み方でいかようにも表情を変える紙。支持体の範囲をこえることもできる紙。紙はさまざまなイマジネーションを与えてくれる。

 紙を切り抜き、或いは重ねていくことでうまれる、平面の中の僅かな空間の振動。モノはどこかへ溶けこんでしまったか、或いは幻影か。数の世界で例えるなら無理数や超越数のような、定規で測ることのできない長さ。 地と図の関係のはっきりとしない、どこか遠い時空。・・・そんな不完全さ。それらを自分の手で確かめながら追ってみた。

平面の中で ときの移ろいをテーマに、モノがひかりの中で色を伴って変容する様を提示しようと試みた「時系列」、或いはこの時空の中で 目に映っているモノは本当はどこか遠くから落ちてきた実体のない影だという視点からその源を探ろうとした「Vanishing Point (消失点)」など。こんなことをボワーッと考えながら制作した、ここ5年間のしごとを展示することにした。

2007年3月12日~4月14日まで 

東京顕微鏡院「こころとからだの元気プラザ」にて 

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展示のまえ

3月の展示が近づいてきた。今回はもうひとつ展示が重なってしまい、そして搬入の頃は学年末成績つけの真最中。生徒の成績つけながらの制作ではさすがに落ち着かないだろうというわけで、いつもより更に計画を立てて制作中。ほんとうはそんな計画なんて立てないで、もっと行き当たりばったり、無茶苦茶なくらい、神が上から降りてくるようなギリギリのところで仕事をするのが憧れなのだが・・・。ともあれ、ひとつひとつ、念ずるように向かうこと。私の工房(仕事場)では、揮発性の溶剤を使うため暖房もあまりつけられず、冬場はコンクリートの床がしんしんと冷える。例年より暖かい冬なのが救い。今度の展示はペーパーワークをベースに版を重ねたものや、会場は壁面が少ない分スペースが広いので、ペーパーワークの屏風なども作ってみた。スペースをいかしてもっと冒険もしたかったけれど、自分のなかでじっくり発酵させないと出せないし。・・・小胆なのか?

2007.1.24

金色に輝くベルとランプ

ゴ-ルデン野澤の宝物。イタリアから連れてきたベルとランプ。友人宅にお邪魔している間、このランプを見つけ火を灯して楽しんでいたら、帰る時に友人が譲ってくれた古いランプ。ずっとイタリアで息づいてきたものを日本に持ってきちゃっていいのかなと、大切に使ってきた人たちにもちょっと申しわけ無いような気にもなったけれど。有難く頂戴し、金属磨きを使ってぴっかぴかに磨いてしまった。アンティ-クなものはあんまり磨くと趣がなくなるから良くないらしい。ベルはお店で見つけたもの。形も気に入ったけど、ちょっと深めな音も気に入った。  

10.jpgさて、このランプに入れるオイルは、テロ警戒の中持ってこられるか危うかったので、帰ってから探すことに。そしたら「レインボ-オイル」なるものを発見。全12色のランプオイル。

レインボ-カラ-、色あつめ好きの私は早速注文してしまった。早く届かないかな。夜、部屋を暗くして、このランプを灯してじっと眺めるのだ~!

 

 2006.9.27