「制作ノ-ト」カテゴリーアーカイブ

ゴールデンコンビ

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 ゴールデンコンビの相方、きよちゃん(=聖原司都子さん)の個展が目黒区碑文谷のギャラリーにて開催中。

なぜゴールデンコンビというようになったか、その経緯は、別の友人の搬入展示を二人で手伝った際、あまりに手際がよく抜群なレイアウトで、すげえぜ俺たち!!と自画自賛しまくった挙げ句に「赤帽+搬入展示業」で将来このコンビで起業し小銭を稼ごうとお互い思い立ったことに遡る。

ゴールデンコンビを名乗って20年近くなるけれど、起業するには至らずとも、年々磨かれる二人の手際のよさとイカしたレイアウトによって(?)、今回の展示も可也いい出来となった。image.jpg
それにしても、今回のきよちゃんの個展はとても素晴らしいと思う。金銀箔を施した下地にリトグラフを重ねてあるのだが、技術の確かさもさることながら、そのコツコツと積み上げた厚みのある描写が彼女にしか出し得ない不思議な世界を醸し出している。とらえどころなくあらわれた形は、遠く懐かしいような場所へと誘われるようでもある。
個展の度に変化していく作品への姿勢も毎回興味深く、こちらの創作意欲も触発してくれることに感謝しつつ。

⇒展覧会について詳しくはきよちゃんのサイトをご覧下さい。

2009.11.29

「何か」をとらえたくて

31.jpg水彩画を発表するようになって、よく「どうして版画から水彩もするようになったのか」と聞かれる。
特に花など具体的なモノを描くようになったのは、成り行きで水彩画の講座を持つようになって必要に迫られたからだけれど、しかし、前々から水彩には魅力を感じてよく使って描いていた。
私ははじめ油絵を勉強していたのだが、どうも、あのどろどろとした感触が好きになれずにいた。モノを感じ取るのに人には視覚型と触覚型があって、その割合は(視覚)7:(触覚)3だったかとおぼろげに記憶しているが、私は触覚型のようだ。上は1985年、受験生のころに描いたイワシの木炭デッサン。木炭の他に水やらベンジンやらインクやら、偶然を引き起こせるものをいろいろ使って勝手に実験して描いていたのだが、自分の描きたい空間の基本はこのあたりから始まった気がする。目でみたものより、触って感じる物のほうに興味が湧く。触覚を頼りにものを描く、目で触る・・・。するとやはり画面にもそういった要素が欲しくなる。銅版画の物質としての強さや、マチェールは、油よりも自分の感覚にしっくり来た。そして、更にいろんな素材への興味が広がっていった。
しかしもう1つ、色がない。版画ばかりだと、色に対してかなりストイックな作業となり、何かで発散したくなる。水彩は物質感は弱いが自分の求める空間を出しやすく、色の自由さがある。

自分の描きたい空間は、どんな素材を用いるとよいのか。そんな試行錯誤から、いま、こうなっている。さて、これからどうなるか。。。

2009.11.8

透明水彩画HANDBOOK

初めて手がけた本、透明水彩画HANDBOOK。ずっとまとめてみたいと思いながら二の足を踏んでいてなかなか形にならなかったのだけれど、思い切ってつくってみた。と、いうのもオフィスイイダさんに相談しなかったらいまだ形になっていなかったかも知れないのだが・・・。6月なかば、水彩画展の打ち合わせの席で、「水彩画の手引書みたいなモノつくってみたいんだ~」のひとことで、すぐにいろいろ手配をしてくださり、まさかとは思ったけれど今度の展示に間に合ってしまった。紙の質から、大きさ、厚さ、ページ数など相談しながらひとつひとつ決めていき、レイアウトデザイン、撮影、印刷・・・。制作は普段一人でやっているけれど、いろんな人の力を合わせながらこうして1つの物を作り上げるというのは私にとって初めてだったかもしれない。bookindex.jpg
本の最後に載せた私の略歴、作品の発表をはじめたのは1989年。当時ま-だ学生だったけれど、そこで画廊の前を通り掛かった人に初めて買ってもらった絵も和紙に描いた水彩ドローイング(素敵な人だったなぁ)。それからちょうど20年。画歴ハタチか~・・まだまだ、だが、20年のひと区切りとしてもできたのは良かった。
今回、本にまとめながら自分のなかで結構整理が出来たと思う。内容はとてもシンプルだけど、そこさえしっかり掴んでおけば大丈夫。いや、大丈夫って事はないか、そこからまだまだ限りなく、深みだか、高みが待っているから。

載せた作品、小品中心に今月末より展示予定。(⇒個展のご案内
あわせて「透明水彩HANDBOOK」も販売いたします。

ヤモリ

30.jpg昨夜の大雨、インクや薬品の匂いが充満した工房内の空気を換気しようと開けっ放しにしていた窓を閉めに・・・。
明かりをつけると、窓に張り付いたヤモリ発見。
庭に出ればいつもちょろちょろしているカナヘビとは違って、ヤモリは頭が大きく、工房のトタン壁をバタバタ音を立てて走っる吸盤つきの手足。なんとも愛らしいシルエット。夜行性だからか普段あまり見かけないけれど、以前、赤ちゃんヤモリが天袋から落ちてきて、箱の中に入れておいたらいなくなってしまったことがあったけど、あれが成長したんだろうか。

タイではヤモリのことを「チンチョー」と言うらしく、ヤモリグッズをいっぱい売っていて(特に爬虫類好きと言うわけではないが)いくつか買って帰ったけれど、本物のヤモリが住んでると思うとなんだか嬉しい。工房守ってくれているのかな。 今度これをモチーフに作品作ってみよう~。

2009.9.13

楽器

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ヴァイオリンをとうとう手に入れた。子供の頃、ピアノかヴァイオリンかでピアノを選んだのだが、2択に漏れたヴァイオリンのこともずっとずっと気になっていた。それから数十年を経て、先日のこと。英会話のレッスンの時、先生がヴァイオリンを持ってきていたのでちょっと弾かせてもらった。何挺か持っていて譲ってくれると言うので、破格の値段で手に入れた。英会話ならぬヴァイオリンのレッスンになりそうなのだが、英語でヴァイオリンを教わるというのも何だか面白い。イタリア語で言うドレミ、馴染のツェー デー エー(独)も 英語だとシー ディー イー。 C D E なのだからそのまま読めばそういうことなんだけれど、そうか!と思うことがいっぱいある。それにしても、ピアノと違ってヴァイオリンは単純な音が簡単に出せないし、操り方が難しい。肩は凝るし慣れない持ち方で筋肉痛にはなるし、支える顎は痛い。それでも楽しくて夢中になって時の経つのを忘れてしまう。(英語もこのくらい一生懸命になれるといいのだけれど・・・。)

水彩で描く時も、楽器を奏でる時も、「うわ、こんな色!」とか「おぉ、いい響きだなぁ」とか、一瞬一瞬出てくるものが面白くて、そして一寸でも思うようにいくとまた嬉しくなって、更にのめり込んでしまう。子供の頃は、思うように指が動かないと自分の手に噛み付いて、毎日手の甲に歯形がついていたが、さすがにそこまではもうできないけれど、練習するぞ!!迷惑なのは家の者。絵は音が出ないからいいなぁ、なんて言われたけれど、ま、鋸のような音を暫くは我慢してもらおう。

2009.4.1

植物のかたち

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絵のモチーフにしようと、いつの間にかこんなに集まってしまった植物の不思議な形。見れば見るほど、植物の形はいろいろで、とても面白い。

最近花をよく描くけれど、花を描くなら読んだほうがいろいろ助けにもなるだろう、という訳で今読んでいる本は、ファーブル植物記。ボタニカルのように正確に描く訳ではないにしても、得た知識もプラスすればそれがスパイスとなって更に想像も膨らんでくる。今、丁度読んだところはよく描く薔薇や百合がでてくる 維管束植物 の章。薔薇などは繊細な花弁を保護するガクがついていて、葉も網目状壊れ難い構造で、 賢明で完全な秩序を有しているとか、百合やチュ―リップは繊維を行き当たりばったりに散らす部類でガクも無く、そういう植物の葉は葉脈も一方向で無防備であるとか。そういわれてみると確かにそうだ、じっくり観察すれば、答えはちゃんとそこにある。

先日友人とのお喋りのなかで、向日葵は、葉の付き方は左右互い違いだと思い込んでいたが実は螺旋状だったというはなしを聞いた。確かに私も向日葵を描くとき花はみるけれど葉のほうはいい加減にしか見ていなかった。子供の頃に こう描くもんだ と教えるのは「観る」ことをやめさせてしまうのかもしれない。

・・・それにしても、読むのが遅くて、なかなか先に進まない。

2009.1.26

own risk

ただ今、個展開催中・・・といってもその作品は実際の1/30(だったかな?)の大きさで先日のなつかでの個展を再現していただいた。どんな展示なのかこれをうまく説明している友人きよちゃんのサイトでご覧いただきたい。大村益三氏の作品で、和光大学構内で開催中。その、大学内でのアーティストトークでの一幕。「自分の作品を発表したり、美術を続けていきたいと思う学生に対し、何かコメントをお願いします。」学生からのその問いに対し氏のパチンと頭に焼きついた一言、作品を作りつづけることは「オウンリスク」を負うこと。赤字と時間と・・様々なリスクを負うこと必至、「美術に夢は禁物」なのだ。オウンゴールならぬオウンリスク、私はこの言葉を非常に気に入ってしまった。

そもそも生きている限り結局どんな物にもリスクはつきものだが、敢えてそれを買ってでる。 幸せ、ってなんだろう?って考えた時、それは、求める先に在るものではなく刹那にあるものだと私は思う。そしてその一瞬が永遠だったりするのではないか。永遠、というと時間の連続をいうように考えがちだけれど、無時間的なものだろう。結果は結果、目的のために制作しないから出来上がってしまった作品には執着しない。まさに制作し続けること、ハイリスク、ノーリターン。淡い期待をしないこと。

2008.9.27

水彩画材コレクション?

26.jpg水彩画を描くようになって、モチーフもいろいろ集まってしまったが、絵の具や紙もかなり増えてしまった。色は混ぜたり重ねたりすると無限に作ることが出来るが、この色を出したい!と思っても混色や重色では出来ない色というのもある。 それに、メーカーによって発色や滲み方も異なるし、癖もある。新しく手にした絵の具を使うときのドキドキ、その絵の具の色に触発されて描くことも多い。

紙も同様。 水をたくさん使う透明水彩では紙がどのくらい水を吸い込むかでだいぶ違ってくる。不思議な広がり方をしてくれる紙、思った以上の発色をしてくれる紙、吸い込んだら最後絵の具を逃がさない紙。こちら側の水加減で、紙がいろいろな答えをしてくれる。紙によっては、予想もしなかった答えを出してくることもあるし、その会話がまた楽しい。25.jpg

版画もそうだが、自分の意志だけではどうにもならない部分、偶然や時間の流れによって あちら側が作り出してくれるものにとても興味がある。「創る」に対して「成る」というコトバがあるけれど、自分の非力をカバーしてくれてしかもいろんなアドヴァイスをしてくれる「成る」という要素が私は大好きだ。

2008.8.22

小品展

23.jpg 2週間のペーパーワーク&エッチングの個展をおかげさまで無事終了。続いて今度は銀座京橋の10画廊(東京現代美術画廊)が共同開催する「新世代への視点」の関連企画の小品展。スペースは先日の個展と同じだが、そこに100点を越える小品がずらりと並んだ。個展の搬出の次がこの展示だったので、この小品展の飾り付けにちょっとだけ立ち会ったが、各画廊の方々が作品を持ち込み展示を始め、それはそれは人口密度が高かった。

私はこの2点。今度はエディションありで、色、使っちゃった。

小品展→8月9日まで、ギャラリーなつかbpにて

2008.7.28

展示

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今回の個展のテーマは2003年のときと同じ「時系列」。時のうつろい、生き物の 自然の成りゆくさま。月の満ち欠け、潮の満ち干、植物の四季。遠くはなれて眺めてみれば、そこにはいろいろな色が絡み合い、不思議なリズムを持って流れている。

予てより、私はあまり物をきちんと見ていないように思う。ぼーっとしているのかもしれないし、視力があまり良くないせいもあるかもしれない。見ていたとしてもそれは存在そのものというよりは周りに反射する光とか、漂っている色だとかで、見ることよりも、寧ろ匂いとか触覚とか聴覚で感じたものの方に興味が湧く。記憶もそうだ。重なった記憶の 層の深いところから取り出してみると、時を経て芯のようになって残ったものは、抽象的ではあるけれど余分な物が削ぎ落とされ、その存在の影は薄い。そんな薄くて儚くて、よもやこの目を通しては見ることの出来ないもの、以前に実際に歩き 感じたこと、経験したもの。私のなかで絡み合い、そうして刻み込まれた景色を、雁皮や楮やパルプの繊維を絡ませて漉いた、四隅の綻んだ、薄く温かみのある和紙の平面の中に閉じ込めてみたいと思った。版という媒体を使ってその触感や成りゆき任せな偶然性を楽しみながら。

個展→2008.7.14~26 ギャラリーなつかbp

2008.7.13